皆様からお寄せ頂いた、ブロック塀・フェンスの災害時の体験談を掲載します。どうぞご参考にしてください。
このページは、2011年3月11日の東日本大震災について書かれた体験談です。17話。宮城県5・福島県3・千葉県2・東京都1・埼玉県1・静岡県1・栃木県1・青森県1・神奈川県1・長崎県1(都道府県別の話数)。
本文は寄せられたままで、当社は手を加えていません。見出しを押すと本文が開きます。
「意外と地震に弱く危険だったブロック塀」(女性 福島県 30代)
東日本大震災の時ですが、地震が起こった日、仕事からの帰り道で、ブロック塀がたくさん倒壊していました。道路まで崩れていて、通りづらい思いをしたのと同時に揺れの大きさを実感し、地震の怖さも感じました。
瓦が落ちている家も多かったですが、家自体は大丈夫そうなのに、ブロック塀は、やたら倒れている家が多く、驚きました。そばを通っている時に倒れたわけではないので、下敷きになることもなく、怪我をしたわけでもないのですが、突然倒れてきたらと思うと、恐怖を感じました。
ブロック塀は、鉄筋とかを使用しないで建てた塀もあったりと耐震とかはあまり考えられていないというような話を後日聞きました。古い立派な家のブロック塀が倒れているのが多かったのは、そういった理由もあったようです。今まで、このような大きな地震もなかったので、気にしたこともなかったですが、ブロック塀は丈夫そうなのにもろくて、危険だったのだと感じました。
地震の被害のあった家は、きちんと修理や、建て替えをしていますが、ブロック塀を再度建てている家はあまり多くないように感じます。
「埋め立て地にある住宅地のブロック塀」(女性 千葉県 30代)
我が家は埋め立て地に建てられた住宅地に住んでいます。東日本大震災の時に多くの家のブロック塀が崩壊しました。崩壊はしなくても斜めになっている家も多く、道路には破片が飛び散りこの地に住む怖さを実感しました。もし破片が当たったりしたら間違いなく怪我をすると思います。重さもかなりありますし、子供に当たったら大惨事になりそうです。この住宅地すべての家がブロック塀で家の周囲を囲っているという訳ではなく、垣根で囲っている家もあります。防犯上、我が家はブロック塀にしておりますが、もし地震で飛び散ったブロックで誰かを怪我させてしまったりと思うと心配です。垣根にしておいた方が良かったかなと思うことがあります。現在はほとんどの家がブロック塀を直し、地震以前のような景観になっていますが、また同じような地震がきたらと思うと不安です。いつ大きな地震や災害がきてもおかしくないので、今一度我が家のブロック塀の状況を見直そうと考えています。
「東日本大震災におけるブロック塀の崩壊」(女性 東京都 10代)
わたしは今は大学生で、実家を出て一人暮らしをしていますが、2011年の東日本大震災のとき、神奈川県に住んでいました。そのとき、震度五弱を経験し、実家は借家で社宅ではありましたが、自分の家の周りにあるブロック塀が地震の影響で壊れていました。まだ小学生だったうえ、小さい子もたくさん住んでいるところだったので、それ以降遊ぶのが少し危ないということで、外で遊べなくなっている友達もいました。学校への通学路にも持ち家の一軒家のブロック塀が壊れてしまい、それをなかなか片付けられず、通行しづらい状態が長く続きました。学校は比較的耐震もしっかりしていたのか、ブロック塀などは壊れたりしておらず、大丈夫でしたが、その通学路は小学生だけではなく、幼稚園児や保育園児も通るところでしたので、すぐに片付けるようにしないと危ないなと小学生ながら感じていました。もちろん、他にもやることが沢山あるのはもちろんのことだとは思いますが、やはりそこに住む人たちが安心して住めるようにしなければならないと思います。
「東日本大震災で経験した被害の様子」(女性 埼玉県 20代)
東日本大震災が起こった時、私は中学2年生でした。まだ学校にいた時だったので下校は地域ごとにまとまって帰りました。自転車通学でしたが決して乗らず押して帰るように言われました。友達と自転車を押しながら帰っているとあちこちでいつもと違う景色を見ました。私の家の周りは田舎で田んぼと畑だらけです。家は点々とあるだけですが、一軒一軒古い建物が多く屋根の瓦も崩れ落ちている家ばかりです。一軒家が立ち並ぶ所では家の境目のブロックが崩れていました。道路にもブロックの破片がとんでいて、通過している時にブロックが倒れてきたら怪我をしていたに違いないと恐れを感じました。田舎の人通りが少ない場所だから怪我人はいなかったものの人が多いところの塀やフェンス崩壊はとても怖いです。当分はその崩れた状態のまま放置され、少しずつ近所の人達で協力して片付けをしました。少しの高さのブロック塀でも芯を太く、強化して建てるべきだと思いました。
「東日本大震災で会社駐車場のブロックが…」(女性 福島県 30代)
私が住む福島県では、東日本大震災のとき震度6強を記録しました。当時私はいつも通り仕事をこなしていましたが、突然ぐらぐらと大きな揺れを感じ、同僚たちと急いで外へ避難しました。揺れがおさまるのを待ち、しばらくして社内へ戻ると、足の踏み場もないほど物が散乱していてひどい状態でした。その後はもちろん仕事になりませんし、何よりみんな自分の家や家族が心配だったので、その日の業務を終了させて帰宅することになりました。駐車場は会社から歩いて5分のところにあったのですが、いざ駐車場へ行ってみると、駐車場の隣の家のブロック塀が上半分崩れていたのです。会社の駐車場側にゴロゴロと崩れたブロックが落ちていました。私の車はブロック塀の側に停めていたのですが、車のすぐ側にブロックが落ちていました。ギリギリで当たらなかったようでしたが、ブロックが崩れた瞬間を想像するとなんだかゾッとしました。その塀は、芯がないただブロックを積んだだけの造りだったのです。崩れたのが誰もいない場所で本当に良かったと心から思いました。
「自宅のブロック塀が地震で崩壊した」(女性 千葉県 20代)
東日本大震災の際に、自宅(一軒家)のブロック塀が一部崩壊しました。実際に崩壊した場面は見ることが出来なかったのですが、震災後自宅に帰宅すると庭と道路を隔てるブロック塀の一部(上部3分の1程)が崩壊していました。周りには大小様々なブロック塀のカケラが散乱していて、家族で掃除をしました。ブロック塀はそれほど高くはなく、大人の肩くらいの高さだったのですが道路の方に崩壊していたので、震災の時にちょうどブロック塀の前を歩いていたら怪我をしてしまったのではないかと思いました。また、散歩中の犬などのペットや、小さい子どもが通っていた際には確実に大怪我を負っていたのではないかと思います。東日本大震災の際は道路の方に崩壊していたので自宅への被害は無かったのですが、自宅側へ崩壊していたらガラスが割れるなどの二次災害もあったかもしれないと思い、当時高校生でしたが怖い思いました。将来家を建てることがあればブロック塀の強度も気にしたいです。
「東日本大震災にて身をもって感じた事」(女性 宮城県 40代)
私の住んでる地域は、東日本大震災で被害にあった地域です。地震発生直後、私の家を含め自宅周辺は住宅密集地で塀やブロックでほとんどの家が仕切っていたので、怖かったです。完全に倒れてしまっている家もあれば、斜めに傾いて倒れそうなブロックもあり、震災当日すぐに息子の小学校まで歩いて迎えに行ったのですが、通学路がブロック、塀で足場が無くなっていたのを覚えています。余震が来たら崩れそうなものが山ほどありました。震災から一年後、津波で全壊した家を直し住み始めたころ、一番困ったのは学校の通学路です。一年立ってもブロックはそのまま、塀もいつ倒れるかわからない状態で歩けませんでした。撤去して欲しいと思っても、持ち主の方の許可がないと撤去してもらえなかったり、持ち主の方と連絡が取れなかったりと、その当時はかなり息子に怖い思いをさせてしまいました。今だに塀が傾いて倒れそうな家があります。あれから何年立っても、まだまだ危ない箇所が沢山あります。
「両サイドにブロック塀はとても危険」(女性 静岡県 40代)
家の近くの狭い道がブロック塀に挟まれていて、東日本大震災のときに壊れはしませんでしたが崩れてきそうでとても怖い思いをしました。その道は子供の通学路でもあり、高さも子供の身長くらいあるので、登下校中に地震が起こったらと思うととても心配です。静岡県では南海トラフ地震がいつ起こるかわからないとずっと言われ続けているので本当に不安です。災害が起こってからでは遅いので、ブロック塀の点検をしてほしいし、それでもし危険なところがあったらすぐに直してほしいです。また、家の敷地内にもブロック塀があり、もし次に大きな地震が起こりそのブロック塀が崩れてしまうと家から避難所まで避難するのに道が塞がれて避難ができなくなったりする可能性もあるので、もしそうなってしまった場合の対策を家族でしっかり考えようと思います。そして子供には、登下校中に地震が起こったときの対策をしっかりと話そうと思います。私の近所にはブロック塀が多くあるので、本当に不安です。
「東日本大震災のあの日死ぬ思いをしました」(女性 福島県 30代)
7年前の3月11日、東日本大震災のあの時私はもしかしたら命が危なかったのかもしれないという恐い思いをしました。
私はその時家に居たんですが地震が起きて停電したので火事とかが起こらないように家電やガスを確認してからで少し待ってから家の外に出ました。
外に出たら近所の人が沢山集まっていました。
住宅街だったので周りに広い場所などもなくみんな自分の家を心配しながら家の前から離れられないような感じでした。
私ももっと広い場所に避難しなくてはまた次の地震がきたら危ない、とわかりつつも家の様子が気になってなかなかその場から離れられませんでした。余震は続いてましたがその場から動かず数分が経ったとき、一際大きい余震がきました。みんなその場にしゃがんで余震に耐えてました。私もみんなと一緒にしゃがんだんですがその時背後でミシッという音がしました。え?と思った瞬間私の横に鈍い音をたてて石のブロック塀が倒れました。150cmほどの壁が粉々になって壊れていました。私は何が起きたかわからず呆然としていましたが近所の方の「早く離れて!」という言葉で慌てて離れました。何故なら私の背後にはミシミシいいながら小さい石ころがポロポロ落ちた状態の塀がまだあったからです。
あと1メートルずれていたら…と考えると今でもぞっとします。あの後結局塀は全部壊しました。
あんなに硬くてビクともしないと思っていたものが地震で簡単に壊れて…本当に自然の力の恐怖を思い知りました。
「3.11の恐怖、崩れ落ちる壁の恐怖」(女性 栃木県 40代)
私は3.11の大地震を経験しています。その日は仕事で数百人の観客の前で講演をしていました。公演中、大きな地響きと共に館内が揺れ、照明や窓ガラスが割れる大惨事となりました。その際、観客と共に外に避難したのですが、外観の壁に大きなヒビが入り、今にも壁が崩れ落ちそうになっていました。建物から離れ、広い駐車場へみんなと一緒に避難しました。その後壁は崩れ落ち、危うく下敷きになる所でした。
その後講演は中止し、各自解散となったのですが、車を運転中も余震が続き、あちこちの塀が崩れているのを目にしました。中には恐怖で混乱していたのか、崩れ落ちそうな塀を両手で抑える人も見かけました。今思うと、塀や壁の強度など意識した事もなかったと思います。しかし、3.11の恐怖を体験してからは、なんとなく塀や壁の近くを通るのも恐くなり、本当にこの壁は安全かな?崩れないかな?など考えるようになりました。
大阪で起きた地震の時も学校脇の塀が崩れて子供が亡くなるという悲惨な事件がおきました。安全な生活を送るためにも、塀や壁の安全性を確認しておきたいと思います。
「東日本大震災の時、もう少しで大惨事」(男性 宮城県 40代)
2011年3月11日、14時45分に起こった東日本大震災で我が家のブロック塀が倒れ一時車が通れなくなった。用事で家に戻ったのは地震発生から約10分後その時はもう道一面に散乱する瓦礫の山、道が狭かったけど車二台は悠々通れる道をブロック塀の瓦礫が覆っていた。その瓦礫を一つ一つ父と二人で片付けをしていたら、ご近所さん達がみんなで集まってくれて一つ一つ瓦礫の除去を手伝ってくれたのがありがたかった。その時のブロック塀は手抜き工事だったのか鉄筋が余り入っていなかった。その為倒れたんだろうし、人の上に倒れてきたら危ない状況だった。だがその事が瓦礫を早く撤去する事につながった。あのとき、大人達が一致団結して行動したことは今でも助けあう近所同志の絆になった。その時、大人7人が作業して3時間かかり、道は大渋滞、作業が終わると車が通っていったがどこまでも続いていくテールランプを今でも思いだす。その時思ったのは直す時に直さないと大変な事になると言う事。
「大きな地震では、どんなブロック塀でも倒れる危険性はあります」(男性 宮城県 50代)
1978年の宮城県沖地震と、2011年の東日本大震災という、大きな地震を経験していますが、宮城県沖地震は、多くのブロック塀が倒れて、その危険性が初めて認知された地震です。ブロック塀や門柱の倒壊で18人の死者が出ました。
私の家でも、隣家の150センチほどのブロック塀が倒れてきて、駐車してあった自動車を直撃し、ドアやボンネットのへこみはもちろん、フロントガラスや側面のガラスにもひびがが入りました。大きな揺れでしたし、停電したので、すぐにラジオ用の電池を買いに、近くの電機屋に行ったのですが、やはり途中でブロック塀が崩れていて通れない道がありましたし、怪我をしてハンカチで頭を押さえている人も見かけました。また液状化して道路のアスファルトがブヨブヨするようになり、それに伴って近くの石塀も傾いていました。
東日本大震災の時には、地震の多い地域ですし、宮城県沖地震の教訓からも、倒壊するような危ないブロック塀はないだろうと思っていましたが、さすがにあれだけ想定外の大きな地震となると、傾いて倒れかかっているブロック塀を見ました。
震度7にもなる地震だと、余震でも震度6くらいが何度かきます。どれだけしっかりしたつくりでも、地盤沈下や液状化なども重なれば倒壊する可能性はゼロではないだろうと痛感しました。とにかくブロック塀の基礎は可能な限りしっかりとしたものにして欲しいです。
「東日本大震災での経験談について」(女性 青森県 20代)
中学校の卒業式が執り行われた翌日、東日本大震災が発生しました。私の家は沿岸部であり海抜が1番低いところにあり、家の裏はブロック塀がありました。地震が発生して家で1人、高校から出されていた課題に取り組んでいた私は大きな揺れの中必死に食器棚をおさえました。カタカタと扉がなる音、外で何かが倒れる音がしていました。もちろん、あの大きな揺れで家の裏にあるブロック塀も倒れて、物干し竿や洗濯物がブロック塀の下敷きになっていました。家の裏のブロック塀の被害はそれだけで済みましたが、姉の車を停めている駐車場のブロック塀も倒れて数台の車に刺さっていました。その中には姉の車も含まれています。姉の車は駐車場の1番端に停めることになっており、運転席側には軽自動車程の高さのブロック塀がたっていました。姉はその日午後から仕事が休みの予定で帰ってきて車からさあ降りようとしたときに地震がきたそうです。あわてて出ようとしたときにブロック塀が揺れて崩壊しそうだと気づき、助手席側に移動したそうです。ブロック塀が姉の車に倒れてきて運転席の窓ガラスが割れ、最悪の場合、姉が被害にあっていたかもしれないということがありました。割れたガラスの破片が多少姉に当たった程度で、特に怪我等もなく済みましたが、「姉が助手席側に移動しなかったら」と考えると怖いです。その後ブロック塀が倒れごちゃごちゃになった駐車場をある程度片付け、高台まで避難しました。
「東日本大震災で経験した大変だった事」(女性 宮城県 20代)
私は宮城県出身で東日本大震災を経験しました!
私の住んでる所は運が良く津波の被害はなく被害も最小限で
収まりましたが、その日はちょうど免許取り立てで、
車の納車日でした。車が届き、友達と家で遊ぶ約束をしてたので
自分の車で友達を迎えに行き家に着いた時でした。
車から降りて部屋に行こうとした時、
その時に地震がきました。
友達と地震とわかり揺れが収まらないなと思って
家の中では怖くて居られなかったので、
外に出て、普通に歩ける状態ではなかったけど
どう庭の中心の方に行きそこでじっと耐えていました。
私の家迎えの道路を挟んで迎えの家が着物屋さんを
やっており、ガラス張りの玄関だったので、
そのガラスはバッシャンと音を立てて壊れるし
隣のうちはブロック塀で囲まれたおうちだったので
ブロック塀は倒れてくるしで、友達と身動き出来ず
怖かったです。私たちがいた場所が良かった為怪我なく
済みましたがもしもうちょっと近くにいたら
ブロック塀が倒れてきてどうなってたかわからないなーと
思いました!
「地震の時のブロック、フェンスのこと」(女性 宮城県 40代)
私は幼い頃に宮城県沖地震と7年半前に東日本大震災を経験しました。宮城県沖地震の時は、公園で遊んでいて公園のところに金網フェンスがあり、ちょうどよじ登って遊んでいたときに地震がきてものすごい揺れで、フェンスにつかまっていましたが、かなりのゆれでつかまっていられず手をはなし、すぐその場から逃げた時にフェンスが根本から折れ、倒れました。あやうく下敷きになるところでした。怖くて立ちすくんでいました。
地震がおさまり見回すと、ブロック塀はあちこち崩れ友達はブロックの下に足がはさまり大変な怪我をしたのを40年たったいまでも鮮明に思い出します。
そして、あの東日本大震災です。私の住んでいるところは津波の被害は免れましたが、道路や塀などは亀裂が入り、ブロック塀は崩れ、マンションの柱になってるブロックはもろく住んでいるマンションは大規模半壊となりしばらくは住める状態ではなかったです。もう二度と、あのような状態は見たくないです。
「3月11日東日本大震災、塀に掴まる人達」(男性 神奈川県 30代)
私達親子は311の時に神奈川県のとある歯医者にいました。地震がきて私達親子は、建物が古いことから外に出ることを決断しました。歯医者の先生や助手の人達も皆外に出ました。すると揺れがかなり強くなった時に数人がブロック塀に捕まってました。なんとその中には私の母もいました。私は大きな声でブロック塀から離れるようにと叫びました。震度5、やはり大きな揺れの中では人はなにかに捕まりたくなるのだと思います。母を含めた塀に捕まった人達は、無事でした。地震がおさまり塀の方を見ると崩れたりしていませんでしたが、破片らしき物が落ちていました。もし、これが崩れていたらと思うと今でもぞっとします。この日本中には古いコンクリートのブロック塀が沢山あります。地震の時に恐れる塀ではなく、安全なおかつ、掴む事ができ身を守る塀が欲しいものですね。この地震の帰りに私と母は車で家まで帰りました。その帰り道何件かのブロック塀が落ちているのを目にしました。また、ぞっとしました。
「もろくなったブロック塀を触ると…」(女性 長崎県 10代)
私の地元は長崎県の中でも少子高齢化が進んでいる町でした。特に小学校は見た目から古い感じが出ていて、至るところにひび?のような切れ目があったり、コケや巻きヅル?のような葉っぱが生えていました。あるサイトによるランキングで、長崎県は地震発生率は全国47位と日本でもっとも地震が起きにくい県だそうです。そのような県だから私が小学生だったころは地震対策に関して、そんなに意識されていなかったのですかね?
小学生だった私は、ある日、友達と学校から帰るときブロック塀の間に挟まって咲いている花や草を抜きながら帰っていました。そのとき少し触っただけでブロック塀の端がボロボロと取れたことがあります。当時の私はブロック塀というものは触ったら普通に欠片が出てくる、崩れやすいものだと思っていました。
しかし、東日本大震災が起こった時、その地震の規模の大きさや私自身の成長もあってか地震の怖さを今まで以上に痛感し、あのブロック塀は普通ではないんだと思いました。
東日本大震災自体は九州に直接的な影響はありませんでしたが、その頃から私の学校も地震対策を始めました。その過程で私が花を抜いてボロボロにしていたブロック塀は新しいものに変わりました。そしてその数年後、熊本地震が起きました。海をはさんで隣接している長崎県にも震度4程度の揺れが起きました。地震に慣れていない九州の人はもうビックリ!パニックになりましたが、今までの対策やさまざまな方の支援のおかげで少しずつ復興に近づいていっています。
もし私が小学生だったころに地震が起きていたら…、あのままブロック塀が残されていたら…そう考えるととても恐ろしいです。全国にはそのようなブロック塀等が数多くあると言われています。もう大阪のような出来事が怒らないように、少しでも多くの都道府県が地震対策を早く行ってほしいです。